初耳学 島崎藤村が姪との禁断の恋 12月17日

12月17日(日)放送の「初耳学」で文豪・島崎藤村のスキャンダルが紹介されました。それはなんと、姪との禁断の恋!ゲス不倫が話題の昨今ですが、藤村と姪っ子の間にどんなことがあったのでしょう!?

島崎藤村のかんたんな情報

島崎藤村は明治5年(1872)3月25日、筑摩県馬籠村(現岐阜県中津川市馬籠)に生まれました。

明治学院普通科卒業後、「女学雑誌」に翻訳・エッセイを寄稿しはじめ、明治25年、北村透谷の評論「厭世詩家と女性」に感動し、翌年1月、雑誌「文学界」の創刊に参加。

明治女学校、東北学院で教鞭をとるかたわら「文学界」で北村透谷らとともに浪漫派詩人として活躍しました。

明治30年には第一詩集『若菜集』を刊行し、近代日本浪漫主義の代表詩人としてその文学的第一歩を踏み出したのです。

『一葉舟』『夏草』と続刊、明治32年に函館出身の秦冬子と結婚しました。

藤村の作品では『破戒』が最も有名でしょうか。

明治後期、部落出身の教員瀬川丑松は父親から身分を隠せと堅く戒められていたにもかかわらず、同じ宿命を持つ解放運動家、猪子蓮太郎の壮烈な死に心を動かされ、ついに父の戒めを破ってしまうという、被差別部落をテーマにした作品ですね。

1906年、7年の歳月をかけて完成させた最初の長編『破戒』を自費出版すると、自然主義文学の旗手として注目されていきました。

以降、自然主義文学の到達点『家』、告白文学の最高峰『新生』、歴史小説の白眉『夜明け前』等、次々と発表。

昭和18年(1943)、脳溢血で逝去。享年72歳。

先に挙げた『新生』の中で、姪の島崎こま子と関係を持った自身の実話を描いています。

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島崎藤村と姪との禁断の恋

姪の島崎こま子は藤村の兄、広助の次女。『新生』の「節子」のモデルです。高等女学校を卒業後、妻を亡くした藤村の家に住むようになりました。

こま子が19歳の1912年半ば、藤村と関係を結び、藤村との子まで妊娠したのです。1913年にはその子を出産しましたが、養子に出されました。そして、この養子は1923年の関東大震災で行方不明となってしまったそうなんですね。

1913年4月にパリに行っていた藤村は1916年帰国し、2人の関係が再燃します。そして、藤村は1918年、『新生』を発表し、この関係を清算しようとしたのです。

この『新生』について、こま子は後の手記で、「ほとんど真実を記述している。けれども叔父に都合の悪い場所は可及的に抹殺されている」と述べています。

こま子のことは親戚の「森田昭子」が著書『島崎こま子-おぼえがき』に書いています。

彼女によれば、こま子は癇癪(かんしゃく)持ちで、気性が激しく、顔のキツイ女とされていますが、実際は上品で、口数も少ない清楚な感じの色っぽい美人だったそうです。

だからこそ藤村は、兄の次女であるこま子と過ちを犯したのでしょう。こま子が藤村の子を妊娠したことについて、激怒した兄が出産した子を養女に出し、藤村もフランスに遊学させてしまいます。

しかし、近年発見された2人の手紙によれば、こま子は熱烈で卑猥な恋文を何通も藤村に送っていたそうです。事実、藤村が帰国後に彼女と何回も関係を持ち、変わらない愛人関係を続けていたそうです。

その後の足取りは伝えられていませんが、一説では右翼活動家となったとか、キリスト教会でボランティア活動したとの情報もありますが京都大学で学生相手に賄いの仕事に就いたというのが有力です。

姪と恋仲になった上、子どもまで生んでいるというのはかなりスキャンダラスですよね。

視聴者の方はどう思っているでしょうか。

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視聴者ツイート

この前代未聞のスキャンダルについて、Twitterで視聴者の反応はどうなっているでしょう。

どうなっているも何もないかもしれませんが…

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